2015年というと昔はかなり未来だと思っていた
iP◯oneは確かに便利かもしれませんが、昔、夢描いていた"2015年の未来の技術"には遠くおよばず、その期待が大きかっただけに、基本的なところは何も進歩していない、というのが率直な感想です。

相変わらず、コレも落ちたら、乗っている人は、ひとたまりもなくあの世行きです。こんなことも、2015年には、あり得ない話になっていると思っていました。

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鉄の塊ですので、落ちることはあるかもしれませんが、乗っている人の命が完璧に保証されるようになっていないのが、不思議です。

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初めて利用してから40年以上になりますが、コレについては、すべての面において、内容が悪くなった、と思っています。

これが、技術の限界なのでしょうか。落ちても人が死なない飛行機の研究開発とか、どこかでやっていないのでしょうか。
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by mobulamobular | 2015-01-05 02:36 | 戯言 | Comments(9)
Commented by kimiyasu-k at 2015-01-07 11:39
あけましておめでとうございます。
確かに,子供のころ思い描いたタイムマシンも核融合も未だ出来てませんね。もともと技術ってのは,(焼き牡蠣や鯖寿司が美味しいような)基本的なところは何も変えてくれないのかもしれません。
飛行機事故で絶対人が命を落とさない技術が出来ないのは,亡くなった方の遺族に払われる「命の価格」と「技術開発の価格」を比べると前者が圧倒的に「安い」からだと思います。でなければ各社,血眼になって開発しているでしょうから。意外とそういう単純で暴力的な理由の気がします。
今年もよろしくお願い致します。
Commented by mobulamobular at 2015-01-08 07:14
kimiyasu-kさんへ。あけましておめでとうございます。こちらこそ、引き続き、よろしくお願いします。実は、今日一日中、昔見たSFかコメディの未来映画のことを思い出していたのですが、歳のせいか、どうしてもその映画のタイトルは思い出せず、ただワンシーンだけの話なのですが、ぶつかった車の内部が瞬時に発砲ウレタンのようなもので満たされ、乗っていた人間は怪我ひとつせず車外に出てくる、といったものでした。そんな奇抜でバカバカしいトライの積み重ねっていうのは、今はないのでしょうか。確かに、原因は「金」かもしれません。しかし、ご指摘の通り、そんな単純なことが、技術や科学の足かせになっているとしたら、結論からいえば、一度人類は破滅するしかないのかもしれません。「理性」をグーグルと、「人間に本来的に備わっている知的能力のひとつ」とかふざけた説明を目にしますが、そんな思い上がりというか、うぬぼれがマズイとも思います。知識だけで生きようとする奴らが多過ぎます。知恵のある奴らが少な過ぎます。
Commented by mobulamobular at 2015-01-08 07:23
kimiyasu-kさんへ。続き。だから何?なのですが、そういうことです。
Commented by kimiyasu-k at 2015-01-09 03:08
日本人と比べるとイタリア人は知識は少ないけど、「良く生きるための」知恵があるって気がします。ポルトガル人はどうなんでしょうか。何となく、その中間、というイメージがあるのですが。
Commented by mobulamobular at 2015-01-09 07:13
kimiyasu-kさんへ。その点、イタリア人とポルトガル人ではかなりの違いがあるのではないかと思います。話はちょっと変わりますが、ポルトガルの社会には歴然とした共通認識があります。それは、「労働=不幸」ということで、はっきりしています。例えば、家族の主が警察官だったとします。週末、一家団欒の時に事件が発生し、主は仕事に行かなければなりません。このことは、本人のみならず、この家族全員にとって「不幸な出来事」なのです。経済とかいう、ややこしい社会システムの中に生きていますので、働かなくてはならないことは理解していますが、それでも「労働=不幸」であることに変わりありません。ですから、ふつうのポルトガル人は1年のほとんどを「不幸な時」を過ごしているのです。ですから、その後の「休日」は、不幸な時を過ごしていたという認識があるがために、「休日=幸福」感は倍々増することになります。だから、だと思うのですが、「いくらでも休日を過ごすことができます」。これも先述のことが理解できれば、当たり前の話で、自分でわざわざ幸福の時から、不幸な時に移ることはしないのです。これが、何がもとで培った共通認識なのかは分かりませんが、何人も不幸は避けたいと思うことでは意見が一致すると思いますので、ここでは、こんな感じです。
ですから、日本人の「労働=美徳」などという認識は、ポルトガル人にとっては真っ逆さまです。イタリア人はその中間、というイメージがあるのですが、どうでしょうか。
Commented by kimiyasu-k at 2015-01-09 14:33
自分の知っているイタリア人は限られていますが,イタリア人は「労働=義務」という感じでしょうか。でその後,知恵が働いて,どうせやらないといけないのだから楽しくやりましょうという無言の同意,共通認識があるような気がします。もっとも「楽しくやりましょう」というのは仕事だけでなくイタリア人の生活には通奏低音のように,いつも横たわっているのですが。
けれども,定刻が終われば,休暇になれば,義務から開放されてハッピーになるのはおそらくポルトガル人と変わらないと思います。が「労働=不幸」という感覚は無いと思います。「仕事があるだけでも運が良い,愚痴を言う事なんて何もない。」というフレーズが良く会話の中で飛び出しますので。
Commented by mobulamobular at 2015-01-10 07:32
kimiyasu-kさんへ。 こちら、「仕事がないだけ運が良い,愚痴もたくさん言えるし。」というフレーズが良く会話の中で飛び出すことはありませんが、それに近い感覚です。「労働=義務」ということは、よく口にします。しかし、「義務=働かなければ金が得られない」です。たぶんイタリア人が言うであろう、能動的な社会的義務とは異なり、受動的義務になります。「どうせやらないといけないのだから楽しくやりましょうという無言の同意」など皆無です。「どうせ、やってもやらなくても時間がくれば帰れるのだから、なんとか(やらずに)楽しく過ごそう」です。次に、「なんで、オレがやらないといけないのか。別の奴じゃいけないのか」です。そして、最後は、「運がなかった。これが人生さ。忍耐だ。明日にしよう。」
Commented by kimiyasu-k at 2015-01-10 21:44
事務所の女子に聞いてみました。イタリア人にとって仕事はと。答えは、 RESPONSABILITA' 責任との事。社会に生きている個人として果たすべき「責任」だと言うようです。イタリア人て見かけによらず生きることにやっぱり真面目で、これはもう日本人よりも遥かに真面目と思います。何に由来するのか、宗教か歴史かわかりませんが。もっともその後に、「これは北イタリアだけのことだけど。」(つまりポー側以南(ボローニャあたりから下)はちがうという事です。)
Commented by mobulamobular at 2015-01-11 05:55
kimiyasu-kさんへ。それって、戦争経験、強いて言えば、敗戦経験が影響しているとは思いませんか。「労働=社会的責任」などとは、敗戦後のような苦境を経験しなければ、知識としては言えたとしても、知恵として理解できるようなことではないと思います。ここでは、それが、"幸いなことに"決定的に欠けていると思っています。しかし、この考えも、現行の経済中心の社会システムを是としてのことです。そして、よりグローバルな観点から言えば、「ラテン気質」というのが、一番分かりやすいかもしれません。
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