育てる
植物のみならず、"人を育てる"、といった具合に、日本では「育てる」という言葉をよく使うと思うのですが、ポルトガルには、それに合った言葉がないように思います。言葉がないということは、実は、そういった感覚もないのではないか、と最近になって考え始めています。

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同じように子供を育てているように見えても、意味することがまったく違う可能性もあります。ましてや、社会が子供を育てるとか、大人が大人を育てることなど、あり得ないこと、考えも及ばないことなのかもしれません。

人は自分で(勝手に)育つもので、人によって、あるいは自然や環境などによって育てられるものであるとか、考えたこともないのかもしれません。

人に育てられたという覚えがないので、人を育てるという意識がなく、自己主張ばかりを繰り返すことになっているのではないかと思います。

教育でも、ただ教えるだけで、「育てる」という感情が欠如しているため、被教育者のその後の人格形成に影響を及ぼしているように思えてなりません。

例えば、漁師を育てることの難しさは、漁師側に育てられて育っているという認識が希薄なことが、ひとつの理由になっているようにも思います。

責任を持つこと極端に嫌い、決定や判断をいつも他人に委ねているようでは、人など育てられないのも当然の話なのですが、感覚がない、ということも無視できない原因なのかもしれません。

しかし、最近、このことは、一般的にポルトガル以外でも同じなのかもしれません。
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by mobulamobular | 2014-06-25 04:27 | ポルトガル文化 | Comments(0)
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