メディアと水族館
ぷーままさんのところで、こんな記事を拝読したのですが、ここでも、ことあるごとに「メディアと水族館」について議論があります。

結論からいえば、この両者はとても似ている面がある、と思うのです。
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(上の写真の水族館は、本件とは全く関係がありません。適当な写真がなかったので、載せました。)

あらためて、「メディアと水族館」。 両者とも、一般大衆に対して、真実を伝え、真実を見せることを、義務とし、仕事としているのですが、最近、それができない場面が多々ある、と思うのです。理由は、真実を伝え、真実を見せてしまうと、"客が離れていってしまう"からです。しかし、これは、"彼らがそう思っているだけの話"で、実際はどうだか分かりません。両者とも、自分たちだけが、その分野において専門的知識があると思い込み、そんな驕りがあるのではないでしょうか。さもなければ、論外的な悪、です。

アルガルベ定置網でも、今までいろいろな水族館にいろいろな魚を納めてきました。以前、希望する魚を手に入れた水族館から、お礼の訪問を受けた際、雑談の中で、定置網漁師から、魚の展示について、魚の説明書きの中に、「この魚は、ポルトガルのアルガルベ定置網で捕獲されたものです」という一文を追加したらどうかという提案をしたのですが、一笑に付されたことがあります。つまり、「魚を殺している漁業者から、その魚を調達したなど世間に知れたら。ましてやマグロを獲っているところなどから。」ということでした。これを機に、漁師の水族館に対する考え方が変わったのは明らかですが、水族館側には、このことについて、これは世間の常識、といった具合に一切悪気はない様子でした。

一方、ここもいろいろな報道機関から、時々取材を受けることがあります。"ドキュメンタリー風"に仕上がった番組を見てみると、よいもの、わるいものがはっきり分かれます。よいものは、すべてをちゃんと伝え、ちゃんと見せてくれています。しかし、わるいものは、隠しますし、創ります。もっとも、取材される側にも、誤魔化してもらった方が都合がよいと考える奴らも存在しますので、メディアだけの責任とは言えない時もありますが、真実をちゃんと伝えてくれないと、取材に応じた方としても、けっして気分のよいものではありません。

何れにせよ、「司法・立法・行政、プラスワン」としての公共機関であるメディアと、博物館としての水族館(博物館とは,歴史,芸術,民俗,産業,自然科学等に関する資料を収集し,保管し,展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資するために必要な事業を行い,あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関)には、今後も変わらず期待するとともに、しかし、注意も必要かもしれません。

注) 上の水族館の記述について、誤解のないように。特に、ヨーロッパの水族館においては、その存在意義に、「自然保護」、「環境保護」といった側面がかなり強い時があります。これも、この方が一般大衆受けするからだと思いますが、つまり、商売上の戦略という理解です。
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by mobulamobular | 2013-04-06 07:00 | ポルトガル文化 | Comments(6)
Commented by kimiyasu-k at 2013-04-09 14:35
ぷーまさんの書かれたあの水槽はもともと,当時まだ難しかったマグロの飼育をするために考えた「黒潮水槽」というテーマで,水槽形状,照明などを工夫し鰯のト ネードなどは全く考えていませんでした。また全体の展示のなかで明快な位置づけがありました。
水族館が他の博物館,美術館などと根本的に違うのは,それが「儲かる施設」であるように思います。企画の段階では,水族館関係者からは公共施設である以上,強い博物館的な性格が要求されましたが,「政治家,行政」からは客寄せパンダを露骨に要請されました。
年間入館者80万人という想定のもとに試算された経営バランスは,蓋を開けてみると300万人という,とてつもない入館者数で,その「成功」に自治体は諸手を上げての大喜びだったと思います。
Commented by kimiyasu-k at 2013-04-09 14:35
それに味をしめた行政は,儲け主義に走り出し,400億円という費用をかけてヨーロッパでは考えられない海洋ほ乳類によるショーという,アメリカのショー水族館へと移行し水族館はディズニーランド化していきました。多かれ少なかれ,日本の水族館はこの路線を走っていると思います。mobulamoblurさんの言う通り確かにヨーロッパでは自然保護を全面に打ち出すことが商品価値になるという側面があるかもしれませんが,公共施設においても日本では暴走してしまう市場原理が,どこかで歯止めがかかる仕組みがあるのがヨーロッパ社会だと思うのですが,かいかぶりでしょうか。
Commented by mobulamobular at 2013-04-10 05:47
名古屋の水族館と聞くと、最近はkimiyasu-kさんのことを思い出します。現実問題として、水族館の膨大なランニングコストを考えれば、入館者数至上主義に走るのは致し方ない面があると思います。ましてや日本は、そこら中にアミューズメント施設が乱立している状態ですので、客寄せには、並々ならぬ努力と工夫が必要なのでしょう。オリジナリティや理念だけで、”経営”が維持できる時代ではないのだと思います。
しかし、ご指摘の通り、日本では確かに市場原理が「暴走」しているような時が良くあります。それは、「焦り」のように思えるのですが、問題は、「なぜ急ぐのか」ではないでしょうか。この点、「せいてはことをし損じる」(http://armacao.exblog.jp/17327604)の記事でも述べましたが、結局、「個人的な金儲け主義」と理解します。しかし、このことは、「資本主義の道理」と言い換えることができると思いますので、今はこれが「正義」なのだと思います。(続く)
Commented by mobulamobular at 2013-04-10 05:47
(続く)一方、ヨーロッパは、「止る勇気」といえば大袈裟ですが、「急ぐ」ことに、あまり価値を見出していないような気がします。というか、「資本主義の道理=個人的な金儲け主義」を押し進めると、「社会が衰退する」ことを、すでに経験しているのではないでしょうか。また、「民主主義」という観点から、ドイツを例としますが、「暴走する」ことに対する極度のアレルギーがあると思います。以上2点が日本との決定的な違いのように思いますので、kimiyasu-kさんが言うように、それが「歯止めのかかる仕組み」となり、”かいかぶり”などではないと思います。
Commented by kimiyasu-k at 2013-04-10 14:05
逆に日本では「金儲け主義」を押し進めないと「社会が衰退する」というまるで脅迫観念があるようですね。経済のことは全く分かりませんが,イタリア(おそらくポルトガルも)のインフレを考えると,日本は20年前から全く値段が上がっていなくて良い国だと思っていると,国策でインフレを起こそうとしたりするのはどこかズレてしまっていると感じます。
Commented by mobulamobular at 2013-04-11 06:13
マグロと同じで、止まると死んでしまうのが日本人ですね。「日本のズレ」は、原発事故以降、各方面で明らかになっているような気がします。ご指摘の国策でインフレ、とか、震災の復興事業もそうですし、国会議員の選挙が違憲、だとか、違憲選挙で選出された議員が改憲とかいっているところなど、メディアもそうですが、もうちょっとで漫画の世界です。まさに疲弊した社会なのではないかと思いますが、立ち止まる勇気はないようです。日本人が感じているズレは、もともと日本人が考えていた理想の日本とのズレだと思うのですが、こう考えているのも世代的には45歳くらい以上の日本人で、それより若い人たちにそんな感情はないのでは、と思います。「ゆとり教育」が実を結んだのではないでしょうか。
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