真逆
「まさか」ではありません。「まぎゃく」です。

ポルトガルでは、「問題ない(Não há problema)が、最大の問題」であることを、すでに、これでもかというほど、学習しています。つまり、事前に問題ないといわれた時には、必ず後で何らかの問題(時に重大な)に至るという心得です。

一方、「事前の説明や、それに伴う理解は、真実とは異なる」ということも、いやというほど、経験しています。つまり、計画立てた仕事は実行し難い(時に不可能)という、これも心得です。

しかし、実社会では、ものごとが今でもしゃあしゃあと進んでいきます。"clean~"、とか"eco~"とか謳っているものに、クリーンなものや、エコなものなど存在しないということを、いいかげん人々は気づいていると思うのですが、それでも、まだやろうとしています。
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その名も、漫画にでも出てきそうな、"CLEAN CONSTRUCTION"。ポルトガルの建設会社のようですが、イギリス資本が入っているのか、あるいは"外人ウケ"を狙っての算段なのかは知りませんが、周辺にはまだ1室も売れていない新築の"高級リゾート"、あるいは保養アパートがあるにもかかわらず、どうせ身勝手なくだらない理由で、工事を開始したものと思われます。

上述のふたつの心得から、この"CLEAN"が胡散臭いものであることが容易に分かります。主に北欧のリッチな定年退職者およびその家族がターゲットだと思いますが、こんなところに入居したら、残りの人生が地域住民の怨念にさらされることになります。つまり、クリーンどころではありません。

結論として、ちょっとだけウソとか、ちょっとだけデタラメなのはよいのですが、この悪癖の最近のシンプトムは最終段階に入ったようで、真実の「真逆」をいくケースが増えてきているのが気になっています。

真面目に思えば、この現代病ともいえる風潮は、ポルトガルに限ったことではなく、世界中、例えば日本などは、もっとやり方が秘密裏でえげつなく、ひどい状況なのではないかと思います。このことにより、生活が辛かったり、楽しくなく思っている人が、少なからずいるのではないかと推察します。

"これからの老人"は、いろいろ気をつけることが多くなりそうです。
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by mobulamobular | 2013-04-05 03:36 | 戯言 | Comments(4)
Commented by kimiyasu-k at 2013-04-06 02:04
イタリアでも20年ほど前までは本当にマフィアがらみの乱開発が酷かったのですが、最近は多少落ち着いたようです。コモ湖周辺も60Mまでは開発禁止という法律がありますが、外れたところは酷い建物が建設されています。唯一救いといえば、地元の人たちはキチンと見る目をもっていて、そのような新しい建築が環境を壊すことを認識していることです。これらの開発は、ほとんどが別荘として都会人、北ヨーロッパ人を相手にしたもので確かに地域性を全く無視して作られるものですが、一方で、地域社会が老齢化、衰退化し何らかの新しい活力を引き入れないと消滅してしまうという危機もあります。湖畔の私の住むコンドミニオも、20年前には全てイタリア人が所有していましたが、今はオランダ人、イギリス人、ミラノ人など地元の人は全くいないような状況です。地域社会が弱体化する中で、どのように再開発をし活性化するかは難しい問題で、「定置網」のように産業を起こせればよいのですが、単なる不動産投機が行われるのは世界中どこも同じかもしれません。
こと建築に関して言えば、設計するものとしては何とも恥ずかしいことですが、どんなに頑張っても新しい建築は古い建築にかないません。
Commented by mobulamobular at 2013-04-06 05:16
kimiyasu-kさんへ。この記事の場所は、もともと小さな漁村で、古い建物でも1900年前後のものがあるぐらいで、その他、ほとんどが新しい建物です。ですが、白壁に赤い瓦屋根の建物が並ぶ街は、沖から見ていて、とても気持ちのよいものなのですが、そこに突如として、キテレツな形と色の、しかもデカイ建物が現れてしまうと、丘を見てのんびりする気分もなえてしまいます。建物単体のよさなどは、あまり関係ありませんし、分かりません。海沿い(正確には湿地帯沿い)は、国立公園になっていますので、法的にこういった建物は、ギリギリセーフ、あるいは、ギリギリアウトしかしマフィア的に了解を取り付けたものだと思いますが、この建物の目的が、「入居者」に非ず、”別にある”のが最大の問題です。つまり、”Espírito de Colaboração”が欠如しています。こういった、ラクダのテント的な振る舞いには、「文句」が必要だと思います。しかし、何れにせよ、あんなところに建てたら、次の津波が来るまでのことです。
ところで、今の建築でも、100年200年後は、今の100年200年前の建築のように素晴らしいものになるのでないですか。それとも、その可能性すらありませんか。
Commented by kimiyasu-k at 2013-04-08 04:47
昔の建物はシームレス管,今の建物は溶接管といった違いがあると思います。おそらく溶接管の現代建築はあと100年も経たずに取り壊され廃材となる運命だと思います。
Commented by mobulamobular at 2013-04-09 05:24
kimiyasu-kさんへ。時代を越えて、人々が同じ空間で暮らす、同じ壁に触れる、同じ椅子に座ることは、確かに大切なことのように思えます。バケツを引っ掛けるための蛇には、参ります。
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