「大航海時代」の終焉
終焉の理由」について、引き続きあれやこれや考えています。

日本人にとってポルトガルは「鉄砲の伝来」以来の付き合いで、今は日常生活にも「カステラ」「タバコ」「ボタン」「カルタ」などのポルトガル語に由来した多くの単語が日本語として残っていることから、とても「身近な国」とか「親しい間柄」といった単純なイメージを抱いていることが多いと思いますが、ポルトガルでは一般の人でこういった史実や関係を知っている人はほとんどいないのが実情です。よって、ポルトガル人にとって日本は「極東の一国」「世界で一番訳のわからない国」、あるいは「カラテ」とか「ニンジャ」という、一般的な外国人が持つ日本に対する極ありふれた見識しかなく、特別に親しさなどは感じていないのが普通だと思います。やはりポルトガル人にとって最も関係の深い国といえば、スペイン、イギリス、フランス、オランダということになるのでは、と思います。

ですが、そんなポルトガルに対し比較的親密なイメージを持っている日本人も15世紀から始まった大航海時代の「ポルトガル海洋帝国」のことは先述の日本史からよく知っていますが、その後しばらくの間はポルトガルからの音沙汰はなく、次のポルトガルからの話題となりえたのは1986年東京国際女子マラソンでのロザ・モタ選手の優勝、1998年のリスボン万国博覧会、あるいは2004年のサッカーのヨーロッパ選手権だったのではと思います。いつの間にか、というよりは当然のごとくEUの一国となり、その後順調に経済成長をしているのかなと思いきや、今ではEU最大のお荷物国とまでなってしまったポルトガルの何がどうなっているのか、一時期スペインと世界を二分するまで強大化した海洋帝国がどのように今に至っているのかは、とても不思議なことであり、興味のあるところなのです。

で、今回は「大航海時代の終焉の理由」について探ってみたいと思います。アルガルベ地方の定置網漁業の終焉の理由を調べる上で、何かそこにヒントとなるものがあるかもしれません。


さて、どのように当時人口百万人ほどの小国ポルトガルが大航海時代をリードする海洋帝国になったのかは、いろいろな時代的背景があったにせよ、まずはポルトガルの国土が地理的に優位なポジションにあったことがベースにあると思われます。このことは北大西洋海域の天候にも大きく関係することで、特にアソレス高気圧とそれによる風と海流が船の航海に有利に作用したものと考えられ、この自然環境なくしてはポルトガルの大航海時代はなかったと思います。
(写真はSagresから見た大西洋)
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しかし、自然環境の恩恵のみで未開の海に出ていける訳ではなく、その時すでに大航海に必要な全般的な技術と知識がポルトガルにはあったということになります。航海技術については「エンリケ航海王子」や、サグレスにある航海学校(FORTALEZA DE SAGRES)の業績とも考えられていますが、それより先に、5世紀に及ぶポルトガルのイスラム支配の時代にモーロ人より伝承された様々な航海技術や知識の蓄積があったことが、文化的背景としてとても重要な点と考えられそうです。
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自然環境と航海技術を兼ね備えたポルトガルですが、未だ単独荒波に乗り出していく動機づけとしては不十分のような気がします。これにはやはり当時の社会的背景を加える必要があると思いますが、14世紀中ごろにヨーロッパ全域で大流行した「黒死病ベスト」(今ではこれはペストではなく、ウィルス性出血熱であったと言われています。)によりヨーロッパの人口が半減したことから社会的・経済的な大混乱が巻き起こり、結果、もはや国内だけでは国家財政のやり繰りが賄いきれなくなったことから、海外への進出によって事態の打開を図ろうと考えたようです。
(写真は現在のSagresの港)
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ポルトガルのみならずヨーロッパ全土に同様の問題が広がっていたにもかかわらず、ポルトガルが先陣を切って大航海時代に突入できた理由は、そのころスペイン、イギリス、フランスなどの他のヨーロッパ諸国は未だ国内の封建闘争がおさまらず国家としてのまとまりがなかったのに対し、ポルトガルはすでに中央集権化が進み、挙国一致で海外進出を国家事業として促進できたことにあるようです。(余談ですが、ポルトガルにはこの当時のフットワークの良さを思い出していただき、是非、現代社会においても活用してもらいたい、と思います。)
その後始まった大航海時代の成功と繁栄についてあまり興味はありませんが、諸行無常です。16世紀中ごろには、それが「衰退」に転じ、後半には「大航海時代の終焉」を迎え、おまけに1578年にはスペインに併合されてしまいました。


「天国から地獄」だったろうと思います。その終焉の理由については諸説あると思いますが、根幹には「制度的問題」があったようです。皮肉なことに、先述のように国王が先頭に立って推進したからこそいち早く実現した海外進出も、いつまでも国家による商業独占状態を続けたため、いろいろな弊害が生じてしまった、ということです。これについては500年も前の出来ごとながら、今のポルトガルにも通じる慢性的な(?)問題があるように思えてなりません。まさに「歴史は繰り返される」の典型です。大航海時代、世界各地に設置された商館には、国王から任命された役人が赴き、官僚制度が構築され、いわゆるブロクラシーが民間人の進出を阻み、国内においても企業家精神に富んだ人々のやる気を削ぎました。一方、役人らは大きな富を得ましたが、その富を産業の拡大や新たな事業への投資には回さず、もっぱら贅沢品や不動産の購入に当ててしまったのです。また、国内における基幹産業である農業や成長すべき工業にもせっかくの富は有効に生かされず、単なる中間貿易に終始したため、何も残らなかったということです。これに対し、大航海時代初期には出遅れたもののイギリスやオランダにおいては、民間人がいかんなくその活力を発揮し、海外貿易の拡充が国内産業の発展にも大いに寄与した、のでした。そして出来上がった「差」が、現代社会においても継続中、ということになります。


何か思い当たるふしはありましたか。













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by mobulamobular | 2012-03-28 05:37 | ポルトガル文化 | Comments(0)
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