海の文化について
このブログは最初の説明で『ちょっとした海の文化交流』と銘打っています。
犬や猫、または魚にも文化があるものと仮定して、「人類の文化」とは学問とか知恵や技術の「アカデミックな文化」、音楽や美術をはじめとする芸術や芸能に関する「アートの文化」など多種多様なジャンルに分かれますが、一言でいえば「生活の文化」ということに集約されると思います。この前提のもとポルトガルの海に関係する文化についてがこのブログのテーマとなっていますが、メインとしてはもう少し絞り込んで「アルガルベ地方の定置網を中心とした文化」ということになります。

「文化」とは「思い、考え、行動するパターン」のことだと考えています。「生活の文化」とは人々が日常の生活をより快適にしたいという気持ちが創造の基となります。ようするに人間の半ば本能的な考え方で成り立ち、人々の願望そのものが含まれているということです。「生活の文化」には衣食住をはじめ、人々の生活をとり巻くほとんどすべてのものが含まれ、今も次々と新たな文化要素が生まれ、生まれつつあります。ですから世の中は「生活の文化」であふれ返っています。しかし、理想はさておき、残念なことにすべての「生活の文化」が人々の日常の生活をより快適にしているかというと、中にはそうとも言えないものがあるのも事実だと思います。さらに言えば、日常の生活をより不快にしている「生活の文化」が存在していましたし、今も存在し続けている場合もあるということです。これら不快な文化の代表的なものが例えば政治であったり、宗教であったり、または教育の場合でもあった(ある)ことは周知の事実だと思います。

ですから、「文化」には「よい文化」と「よくない文化」があり、「よい文化」であればそれは継続されるべきものであって、「よくない文化」は消えて無くならなければなりません。このことは、価値観の相違により、思い、考えることは同じでも行動が異なったり、また同じように行動したとしてもその意味や目的がまったく異なったりすることがたびたびありますので、一概に「よい」、「よくない」は決められませんが、国や地域によりその場に適した「よい文化」は必ず存在するはずです。

ちょっと昔ですと、異なった考えや価値観に対して、ものごとを統一しようとする勢力が猛威をふるい、ごく少数の意見に無理やり多くの人々を導こうとする傾向がありましたが、現在では文化の多様性が徐々にですが広く認められるようになり、異文化においても互いが互いを認め合う考え方が世界に広まりつつあります。

とは言え、実際に異文化に相対する時、自分とは違った価値観、それに伴う言動を理解するのは時として容易なことではありません。思考回路の根本的ベースが異なりますから、のっけから話についていけない場面もあり、いちいちまともに相手をしていたら、それこそこちらの神経回路がショートしてしまいます。しかし、それでも相手を認めなければ前には進めませんので、こんな時は相手を理解するというよりは、それはそれ、これはこれとしてまずは受け止めることが肝要と思われます。

その後、こちらの「文化」も相手に見せることが大切です。例えば「日本の文化」というとお茶とか折り紙とか、また着物とかを想像しますが、現場ではそういうことではなく「自分自身を見せる」ということです。前述の通り、「文化」とは「人々の生活をとり巻くほとんどすべてのもの」ですので、何十年か生きた後の自分自身にはそれなりの「日本人の文化」が染みついているもので、そういったごく当たり前の自然で素朴な日本の「生活の文化」を相手に見せることから、本当の文化交流が始まるものと思っています。
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前置きがすごく長くなりましたが、「よい文化」であっても「よくない文化」に流され、または「よい文化」がたまたま「別の急進的な文化」においてきぼりにされて消えていく運命となってしまったようなケースも多いのではないかと思います。ポルトガルのマグロ定置網がおおよそ35年前に消えてしまったのも、当然自然環境の変化などもあったでしょうが、他の新しい文化との折り合いが悪くなった結果ではないかと今は考えるようになりました。

400年以上続いたアルガルベのマグロ定置網が「よくない文化」であったとはたぶん誰ひとり考えていないと思います。ですから突如その歴史に幕を下ろしてしまったのにはそれなりの理由があってしかるべきと考えるところですが、明快な答えは見つからないままです。しかし、民主化による近代化の流れの中で、「よい文化」も民衆の「生活の文化」との間に微妙なズレが生じ、いつしかもとには戻りたくても戻れなくなってしまったのではないかと思っています。

最近になってポルトガル人実業家の中から新たに定置網をやりたいと言う声が出始めていますが、未だ実現するには至っていません。必要であれば協力できる点では協力したいと考えていますが、端から見ているとプロジェクトをさらに前進させることはそんなに容易なことではなさそうです。もちろん今の経済状況ですから財政面での困難は否めませんが、本当の困難は別にあるように思えます。

新たな定置網の再開を目指す人たちにとっては、「昔やっていたことを再び行うだけの話」と考えている面もあるようですが、一度途絶えたかつての文化のリズムを総合的に取り戻し、今の「生活の文化」の流れに融合させるには「時間の隔たり」という大きな問題をクリアしなければならないのかもしれません。

そう考えると、やはり、なぜ止めてしまったのかが悔やまれるところですが、時代の悪戯だったとしかいいようがありません。
今はそんな風に思っていますが、まだまだ真相の究明は続きます。
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by mobulamobular | 2009-12-05 11:00 | ポルトガル文化 | Comments(0)
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